第2章 過去編:千々石ミゲルの日記

第10話 信仰と運命の交錯、たまとミゲルの試練


1596年12月

 

 今日は寒い一日だった。しかし、寒さを感じさせないほど心は暖かい。なぜなら、たまがついに今年の生誕祭に洗礼を受けると言ってくれたからだ。彼女の父親は熱心な信者で、彼女自身も教会には頻繁に通っていたが、洗礼を受けていないままだった。教会でもバテレン追放令が解除されていない状況なので、京都での積極的な布教活動を控えていた。

 

「ミゲル様、私、この生誕祭に洗礼を受けたいと思っています」

 

 たまの目は洗礼の決意に燃えるように輝いていた。

 

「たま、よくぞ決意してくれましたね。心から歓迎します」

 

 私がそう答えると、たまは私の胸に飛び込んで来た。私は驚いたが、彼女をそっと受け止めた。

 

 それから私たちは生誕祭に向けて教会内の飾りつけを開始した。私は使節としてスペインで過ごした際に盛大な生誕祭を経験した。街全体を飾りつけるようなことはできないが、せめて教会の中だけでも輝くような飾りつけをしたいと思った。

 たまも笑顔で飾りつけを手伝ってくれる。その矢先、教会の扉が勢いよく開かれ、弟子の一人が慌てて報せを持ってきた。

 

「ミゲル様、大変です! サン=フェリペ号事件の影響で、秀吉様が新たな禁教令を出されたということです!」

 

 私の心は一瞬で冷え切った。たまは驚きと不安で顔色が変わる。この禁教令が出れば、彼女の洗礼はもちろん、教会の活動自体が危うくなる。

 

「本当ですか? 修道院にいる司祭様に連絡し、指示を仰ぎましょう」

 

 私は弟子にそう答え、使者を修道院に走らせた。

 

「ミゲル様、これも私たちに与えられた試練なのでしょうか……」

 

 たまが不安そうな顔で震えながらそう呟いた。

 

「たま、主は乗り越えられない試練はお与えになりません。私たちは何があっても信仰を捨てるわけにはいかない。しかし、禁教令が本当であれば、生誕祭であなたが洗礼を受けることはとても危険です。しばらくは教会に出入りせず、事態が収まるのを待った方がよいでしょう」

 

「ミゲル様、わかりました。怖いですが、私もこの試練を乗り越えたい」

 

 私はたまの手を握りしめた。

 

 その夜、司祭様が戻られ、以前からのバテレン追放令が、今度は禁教令として改められたと聞かされた。私たちは教会の地下室で密かに祈り、そして司祭様を中心に話し合った。

 

 司祭様は奉行の増田長盛様と懇意であり、今回の禁教令のあらましを説明してくれた。この禁教令は、活動を控えることなく活発な布教活動をしているフランシスコ会を取り締まるものであり、豊臣政権と親しく、活動を控えているイエズス会には害が及ばないと話された。

 ただ、サン=フェリペ号の乗員が『スペインは広大な領土をもつ国であり、スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服をしている』というような挑発的な発言をしたと秀吉様に伝わっており、見せしめとして厳しい取り締まりが行われるという。

 

 次の日、私は司祭様の代理として、各地の教会に禁教令に関する手紙を送った。また近隣の信者たちにも注意を呼びかけ、生誕祭は表向き中止とし、地下での密会を始めた。たまや彼女の父は教会に姿を見せなくなった。

 

 数日後、たまの父が捕縛されたと連絡が入った。たまの父はイエズス会の一般信者であるが、南蛮貿易をしており、フランシスコ会との取引をしていた。このため見せしめとして目を付けられてしまったようだ。他にも捕縛者の中にはイエズス会の信者が含まれていた。

 

 私が司祭様に問い質すと、司祭様は増田長盛様や石田三成様にお願いして捕縛名簿から高山右近様などは外せたが、商人であるたまの父などは外せなかったと話された。私は身分で捕縛が決まるのは納得できない。奉行所に談判に行きたいと司祭様に伝えたら、他の信者の命まで危険に晒すのかと叱責された。

 

 その年の暮れ、禁教令の見せしめとして捕縛された者が、市中引き回しの上で長崎で処刑されることが決まった。そして、たまが久々に教会を訪れた。

 

「ミゲル様、なぜ父が捕縛され、処刑されるのですか? 父が不正に利益を上げていたと陰口を広める者もいますが、父は地震の後に慈善活動を進んで行っていました。禁教令の取り締まりでも、他の信者が捕縛されるぐらいであればと、自ら申し出て縄を受けたのです。どうか父をお助けください!」

 

 たまは泣きながら私にすがってきた。

 

「たま、心から謝罪します。残念ですが、私にはあなたの父上を救う力はありません」

 

「でも、でも、ミゲル様は秀吉様に謁見されたことがあるのですよね。秀吉様にお願いできないのですか?」

 

「たま、ごめん……」

 

 私は他に何も答えられなかった。自分が情けなく、酷く醜い存在に思えた。

 

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1597年2月

 

 たまの父を含め、禁教令を破った罪で捕らえられた26名が、長崎で磔の刑に処された。長崎の教会からの連絡では、多くの者に見送られながら、彼らは主の元に召されたということだった。私は殉教した26名を悼み、いつまでも祈りを捧げた。 

 たまは、あれから教会に一度も姿を見せなかった。私が彼女の住んでいた屋敷を訪ねた時には、既に屋敷は没収されていた。私は心配になって彼女を探したが、見つけることができなかった。たまは行方知れずとなってしまった。

  

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