僕は壮大な雪景色に目を奪われた。白い大地の先に遠くの山々が雪の輝きを放ち、空は蒼く晴れ渡っていた。少し離れて丘や森が連なり、その更に奥に雪に覆われた山々が連なっている。
『すごい……』
思わず声をあげるほどの美しさだった。
『これが、私たちの雪の国。アキラにも見てほしかった景色の一つよ』
雪姫はにっこりと笑って言った。
『山の向こうには何があるの?』
『以前は緑が豊かだった草原の国のあったの。だけど、今は砂漠が広がっていて、東の大国という帝国主義国家の一部になってしまったの』
彼女は少し寂し気に答えた。
僕は彼女に導かれながら、足を進めることになった。建物の周囲には、着物を纏った人々や異形の動物たちが歩いていて、僕を不思議そうに見ていた。僕は夏の服装であったにもかかわらず、寒さを感じなかった。
建物の裏側に回ると、透き通った水をたたえる大きな湖が広がっていた。この湖の水が蒸発して雲となり、雪を降らせているという。
次に雪姫は、とても厳かで神聖な場所に案内してくれた。何重にも鳥居が並び、その先に何かがあるようだった。しかしその先へ進むと、警備の者たちが立ちはだかった。その警備の中には大きな熊までいて、僕を威嚇している。
『雪姫様、ここから先はお客様をお通しできません』
『少しだけでも?』
『はい。絶対にダメです!』
その後も雪姫が掛け合ったが、その先に通されることはなかった。
『見せても減ったり、壊れたりするわけじゃないのに……』
『雪姫、無理に見せてもらわなくてもイイよ』
『この奥には、国を守護している要石があるの……。お母様の加護が働いているかぎり、絶対に壊されることなんてないの。傷だって付けられない。だから、こんなに厳しく警備することなんて、必要ないのだけれど……』
雪姫は僕にとっておきのモノを見せたかったようで、がっかりしていた。
雪の国への訪問者は少なく、いつも退屈していると雪姫は話した。だから僕を案内できて、とても嬉しいらしいのだ。
それから僕は、雪の国の暮らしを見せてもらった。彼らは僕とは少し違う身体をしていて、僕の使えない不思議な力を使えることがわかった。でも、その力は無限でも万能でもないようだ。それに、ここには電気や燃料で動く機械がない。人々の食事や娯楽も質素に見えて、どこか懐古的な哀愁を感じる。
(文明が物資と精神のどちらを優先するかの違いなのだろうか……)
『ねえ、ここでは食糧が少ないのかな?』
『ああ、そうね。ここでは大気からエネルギーを取り込めるから、食事はあまり必要がないの』
地球上の生物が生命活動を行うと、その結果として常世の大気が生成される。人間の思考や願望も、生命活動の一種として、次元を越えて常世の大気に含まれているらしいのだ。
『そうなの? でも、食事の楽しさを感じないのは、ちょっと寂しくない? 食事も楽しみの一つだし……、遊びは? ねえ、ここには雪の上を滑るような遊びはないの?』
『食事というのは、楽しいことなのね……。雪での遊びはソリならあるけど……』
『ソリなら現世でもあるけど、スキーやスノーボードという道具を使って、雪の上を滑る遊びを知ってる? これだけの雪があるのに、楽しみながら滑る他の道具がないのはもったいないね』
『スキーやスノーボード? それって楽しく滑るモノなの?』
僕がそう言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
『うん、めちゃくちゃ楽しいよ。スキーは両足それぞれに細長い板を付けて滑り、スノーボードの方は一枚の広い板に両足を固定して滑るんだ。僕はスキーがとても好きなんだ。風を切って滑るのって、とても気持ちイイ!』
僕は彼女の疑問に答えた。
『実は、板を使って滑る姿を、何度か見たことがあるの。でも、楽しそうに滑っているように見えなかった。雪の中で助けを求めて、苦しそうにしている人もいたわ』
『あっ、スキー場に来たことがあるんだ?』
『うん、何度かね。お母様には内緒で、綺麗な雪を見に行ったの。最初に行ったときは、子どもが森の中で迷子になっていたわ』
彼女の答えを聞いて、僕はすぐに子ども頃に助けてくれた雪ん子を思い浮かべた。
『えっ、森の中で迷子って……。毎年のように出かけているスキー場の森で、小さい頃に遭難しそうになったことがあるよ』
『その森って、山の中に神社がある?』
『石碑と鳥居がある小さい神社があるよ。そこで吹雪に遭って、大きな蓑を被った子どもに助けられたんだ』
『それなら、私だったかもしれない。本当は助けちゃいけないのだけれど、可哀想だったから手を引いてあげたの。こんな形で会えるなんて、不思議ね』
彼女は笑顔で答えた。
『キミが雪ん子だったのか……。あのときはちゃんとお礼が言えなかった。助けてくれて、ありがとう』
『どういたしまして』
『吹雪の中で滑ると苦しいし、危険だけど、本来は楽しい遊びだよ』
『へー、タイミングが悪かったのね。それならやってみたい……。じゃあ、今度教えてね』
『そうだね。これが夢じゃなければ、ぜひ教えたいんだけど……』
『アキラ、夢じゃないよ。いつか必ず一緒に滑ろう――。約束だよ』
『わかった。その約束、絶対に忘れないよ』
雪の国の見学を終え、僕たちは木の匂いがする大きな空間の部屋に戻った。そこでは、僕を手当てしてくれた雪姫の母親が待っていた。彼女の厳しい顔つきと目には、何か重大な決断を迫られているような深刻さが宿っていた。
『戻りました』
『雪姫、久方ぶりの来客なので名残惜しいでしょうが、もう彼を帰さねばなりません。これ以上、彼をここに留めることはできません。時間の調整ができるギリギリなのです』
『お母様、もう少しの時間だけでも、アキラは――』
雪姫の声が遠くなり、周りの音も聞こえなくなる。僕の意識が次第に遠のいていき、眠りに引き込まれていった。石畳に横たわった状態で目を覚ましたとき、雪姫との思い出は既に霞んでいた。
――◇
僕は、ここで雪姫と過ごしたことを思い出した。忘れていただけで、スキー場で出会う前に雪姫と知り合っていた。
奥にいる雪姫が、僕に向けて片手を上げた。彼女は真剣な表情を浮かべながら近づいてきた。
つづく