リフトからの眺めは絶景だった。雪に覆われた山々が広がり、その美しい白い世界に夢中になっていた。ゲレンデには、クリスマスを楽しむ家族やカップル、友人たちが滑っている姿がちらほら見えた。
空は薄く曇っており、太陽が雲の裏からほんのりと光を放っていた。そんな中、隣に座る女性が、手にしているぬいぐるみに話しかけているような素振りをした。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない。……この子の名前、そらっていうの。青空のそら」
リフトに揺られながら、彼女は膝の上に乗せているぬいぐるみの頭を撫でた。
「へー、可愛い名前だね」
「そうでしょ。2年前に願いを聞いて、私がつけたんだ」
「心が通い合っているんだね」
僕はぬいぐるみを擬人化している彼女に合わせようと思った。
彼女は僕に見せるように、膝からぬいぐるみをゆっくりと持ち上げた。お尻には、パッチのような布が縫い付けられていた。ほつれを修復した跡だろうか。正面はといえば、とても愛嬌のある顔で、左耳と首に水色の宝石のような飾りを着けていた。僕がぬいぐるみの小さな目を見ると、その瞳の奥が小さく輝いた。
「……大切にしているんだね。見せてくれてありがとう」
「どういたしまして。この子は特別なの」
彼女はぬいぐるみを膝の上に戻した。
「僕はアキラ、キミは?」
「えっ? あぁ、そうか……。私は雪姫……、よろしくね」
「こちらこそよろしく」
(彼女は一体どの作品のキャラクターなのだろう? アニメじゃないのかな?)
僕は『雪姫』というキャラクターが登場する作品を考えたが、ピンとこなかった。彼女は僕が知らないキャラクターのコスプレをしているのかもしれない。ただ、スキー場の雪女の伝説と関係がありそうなのは、雰囲気からわかった。ジャンプで目立ったからか、幸運にも彼女が少し相手をしてくれてる。多分、それがこのコスプレの役柄の一環なんだろう。
リフトを降りた彼女はコースの端に座り、ブーツにボードを装着する。そのときにウサギのぬいぐるみを、何気なくボードの先に座らせた。
「雪姫、そらをスノーボードに座らせているけど、それで落ちないの?」
「えっ? あっ、大丈夫だよ」
彼女は立ち上がりながら笑って答えた。
(ぬいぐるみのお尻に磁石でも入ってるのかな? それとも何か特別な力が働いているのだろうか? まさかね)
――
それから僕たちは一緒に滑ったが、彼女が鋭いターンをしても、ぬいぐるみがスノーボードから落ちることはなかった。
(ヒトリストもいいけど、二人もいいな!)
彼女と一緒に滑ることができて、僕はとても嬉しかった。けれど、そんな時間は短く、僕たちは再びパークエリアまで下りてきた。
「ねえ、またジャンプを見せてくれる?」
「いいよ」
僕たちは大きなキッカーのスタート位置に移動した。順番待ちが何人かいて、僕は最後尾に並んだ。前回のスキーシーズン、僕は自分のベストを更新できなかった。受験もあったし、本格的な練習をしていなかったから仕方がない。だけど、今シーズンはベストが出せるように、オフシーズンも練習をしてきた。
「じゃあ、下で見ているね!」
彼女はジャンプの見学スポットまで滑っていった。その様子を目で追った。
(この一本でお別れかな?)
どんなに楽しくても、いつまでも彼女と一緒に滑れはしない。多分、これが最後になる。でも、せめてこの最後に、彼女に最高の思い出を作ってあげたい。そんな気がして、僕は最高のジャンプを見せることを決意した。
彼女はすでにキッカーの横に位置していた。左の腕でぬいぐるみを抱き、右の腕を僕に向かって振っている。
(決めた!)
僕の順番になった。空は曇りで、風もなかった。雪はしっかり固まっている。
(イイ感じだ。ヨシッ!)
ストックを上げて合図を送り、勢いよくスタートする。スピードに乗って進んでいくとキッカーが見えてきた。キッカーの横に彼女の姿がある。
タイミングを合わせて踏み切り、空に向かって飛び上がった。上昇しながら空中で身体を縦に、横にと繰り返し捻る。
空中でわずかに空気抵抗を感じる。僕は姿勢を整えた。あとは視線を着地点に向け、落下する一方だ。
スキーが雪面を捉えた。そのまま流れるように滑りつづけ、ストックを突いてスキーを停める。そのストックを握った拳に力を入れ、高く振り上げた。
(ヨッシ! ダブルコーク1080をメイクできた――)
久々に挑戦した高難度の技、ダブルコーク1080。これはフリースキーではトップレベルの難易度を持つ技だ。練習時の成功率が低かったが、体が思い通りに動き、完璧な着地ができた。近くの人たちは、歓声を上げて拍手してくれた。
「アキラ! スゴイ、スゴイよ!」
歓声の中には彼女の声もあった。飛び終わると、彼女は息を弾ませて僕のところまで滑ってきた。
「どうだった?」
「最高だよ! それに驚いた。さっきよりクルクルするんだもの! あんな飛び方は鳥にだってできないよ。本当にスキーが翼になったみたいだった」
興奮した様子の彼女が、僕を褒め称えてくれた。
(スキーの翼か……悪くない)
朝からどんよりとした曇り空だが、雲の切れ間から青空が覗いている。ほんの一瞬、その空に向かって飛べたことが嬉しかった。一人でスキーをしたイブと違い、ひと時であってもクリスマスは二人で楽しく過ごせた。雪姫は笑顔で僕の隣に並んでいる。こんなに素晴らしい時間を過ごせて、今年のクリスマスはもうこれで十分だ。
第1章 完