その日、お母さんはぼくを自転車のカゴに乗せて病院に連れて行ってくれた。病院に来るのはお腹を噛まれた喧嘩の後で傷が腫れて以来だ。
これで治して貰えると安心した。病院には何度も来ている。先生はぼくをいつも治してくれる。きっと大丈夫だ。また元気になれる。
時々通る病院への道をぼくは自転車のカゴの中からぼんやり眺めた。
そう言えば、病院に行くのが嫌でこの辺でカゴから飛び出したことがあった。飛び出したのは良いけどよく知らない場所で怖かった。
ぼくは走り逃げることもできず、自転車のタイヤの横でただ小さく蹲って毛を逆立てて震えるだけだった。
そしてお母さんに直ぐ抱っこされたけど、ぼくは暴れてお母さんの手を傷だらけにしてしまった。
「あの時はごめんね、お母さん」
病院で診察室にお母さんと一緒に入った。
「お腹に水が溜まっているみたいなんです。全然元気がなくて」
お母さんが先生に言った。
先生はぼくのお腹を触り、
「そのようですね。検査をしてみましょう」
と言った。
ぼくは触診されたり、血を抜かれたり、レントゲンを撮られたりした。検査は初めてではなかったし、ぼくは前には大きい手術も経験していた。
検査が終わり先生は
「噛まれた傷は良くなっています。お腹の水は内臓からですね。水を抜けば今より良くなりますが完全には治らないですね」
と言うと
「腎臓も心臓もかなり弱っています。人間ならもう85歳を過ぎているから水を抜くだけでも身体に負担が掛かりますが、どうしますか?」
とお母さんに尋ねた。
お母さんは少し考えてからぼくの方を見た。
「やるだけのことはやってあげたいからお願いします」
とお母さんは答えた。
ぼくは先生やお母さんの言っていることが分からなくて
「治らないって、85歳を過ぎているって、どういうことなの?」
ぼくは手足を掴まれて注射をされた。
「何をするの?やめてよ!」
その後のことは余り記憶にないけれど、お腹にチューブを挿されてバケツみたいなものにお腹から水を出していた。
そして気が付いたら自転車のカゴの中だった。お腹の毛が剃られていて新しい傷跡があった。身体はまだ痺れていた。
「ひゅうま、家に帰ろうね」
お母さんはぼくに優しく声を掛けてくれた。ぼくは安心して再び眠った。
ぼくは母屋の縁側の座布団の上に寝かされていた。お腹はぺったんこになっていた。身体は多少楽になったが思うように動かないのは今まで通りだった。
「ひゅうま、お帰り」ってお父さんに呼ばれても、ぼくは走って行くことができなかった。やっぱり治らないのだろうか?
ぼくは先生が言ったことを思い返した。「人間ならもう85歳を過ぎている」ってどういうことだろう?