年が明け、冬から春を迎えようとしている頃に、夢で出会った彼と私たちは霧ヶ峰スキー場で合流することになりました。
霧ヶ峰スキー場は規模が小さく、滑走を楽しむには物足りない点もありますが、見晴らしがとても良いです。そして、このスキー場を選んだのは、私を夢の中で襲ったそそう神が祀られていたという御射山社《みさやましゃ》があった場所の近くだからでした。
霧ヶ峰の辺りは貴重な石器の材料である黒曜石の産地でもあったので、日本の中では古くから重要な土地で、数々の伝説や神話が残っています。御射山社《みさやましゃ》は、諏訪大社の上社と下社の双方にありますが、霧ヶ峰高原の八島湿原にある御射山社の周辺は諸国から武士が集って騎射や相撲、狩などの技くらべをする御狩神事が開催されていたそうです。このため階段状の桟敷の遺跡が残っています。
ただ、諏訪大社の神主家である上社の諏訪氏と下社の金刺氏は室町時代から対立するようになり、戦国時代になって金刺氏が諏訪氏に敗れて断絶し、その諏訪氏も武田信玄に滅ぼされました。
私が夢で過ごした永禄12年は戦国時代の最中なので、きっと諸国の武士が集まるような御狩神事は行えなかったと思います。そして、霧ヶ峰にあった御射山社自体も江戸時代になって別の場所に移され、今では遺跡だけが残っています。
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「あの龍蛇は、こんな景色を見ていたんですね」
私はスキー場の山頂で道澄だった彼に言いました。
「うん。こんな見晴らしの良い場所に祀られて盛大に神事を行って貰っていたのに、人間同士の勝手な争いで社も神事も廃れてしまったら、人間に不信感を持つのも当然かも知れない」
「そうですよね。諏訪大社の中でも争いがあったんですから、神として祀られても人間を信じられなくなったでしょうね。龍蛇が最後に言ったんです。『道澄、お前はこの戦乱の世を最後まで見届けよ!』って。私はその最後の言葉が気になって」
「私が飲み過ぎて目を覚ました後だね」
「あっ、そうでしたね」
「確かに戦国時代は終わったけれど、この世界で戦乱が終わったとは言えないね。でも、道澄は江戸幕府まで見届けたから、その龍蛇との約束は守ったんじゃないかな」
「そうですね。上杉輝虎様だけでなく、織田信長や豊臣秀吉とも親しくなり、家康とも交流があったみたいですから。でも、あれから道澄さん、どうしたんだろう?」
ふと私は鏡の泉で別れたことを思い出して寂しくなりました。
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私たちは霧ヶ峰スキー場でお昼を食べ、それから諏訪湖に向かって山を下りながら途中にある立石公園に寄りました。立石公園から見る諏訪湖は引き込まれるほどに迫力がありました。
「スゴーい、アニメの舞台になったのも分かるね!」
セオリさんも景色に見惚れています。
「そう言えば、あのアニメも時を超えて人の心が入れ替わる話だったね」
「確かに。コノハさんに起こったことは同じようなものですね。夢が時代を超えて別の誰かの心に繋がるとしても、明晰夢を見る人も、夢の内容を覚えている人も少ないから、みんな気付かないだけなのかも知れない」
彼はセキナ姉さんに静かに答えました。
私たちは高台から諏訪湖を見下ろす場所で通り掛かった人に記念写真を撮って貰い、宿泊予定のホテルがある諏訪湖畔まで車で移動しました。翌日は諏訪大社を見学する予定になっていて、その日はホテルにチェックインをした後に武田氏が諏訪を占領していた頃の拠点となっていた高島城を見学しに行きました。
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武田氏による諏訪支配は40年程度で、信玄の跡を継いだ勝頼は織田の軍勢に破れて諏訪から撤退し、織田信忠が諏訪大社を焼き払いました。その織田の侵攻に合わせるかのように浅間山が噴火し、京都からも見えたと伝わっています。
浅間山は噴火を繰り返している火山ですが、この時の噴火のため、劣勢になった勝頼は浅間山の近くにある真田昌幸が守る難攻不落の岩櫃城での再起を諦めたと言われ、最期は家臣に裏切られて自刃し武田家は滅亡しました。
私が夢で見聞きしたことと史実を突き合わせながら高島城を見学していると、セオリさんは道澄さんだった彼が気に入っているようで、ずっと彼の隣で楽しく話をしていました。
「ねえコノハ、このままだと彼を取られちゃうよ」
セキナ姉さんが私に耳打ちしました。
「えっ……」
私は二人の方に目を向けました。特に妬けるような気持にはなりませんでした。
「別に二人が良いなら、それで私は構わない」
と小さく答えました。
河口湖で出会い、カムイみさかで一緒にスキーをした頃の彼への気持ちと、夢で長い時間を過ごして来た今の自分では、彼への気持ちが違います。私にとって彼は恩人の一人ですが、私は彼ではなく、もう会うことができない道澄さんに惹かれているのだと思いました。
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あの夢の世界にいた頃は辛くて早く戻りたいと思ったけれど、解決した今ではもう一度あの時代に行って道澄さんに会いたいと思うことがあります。夢の中だけでも会いたいと思っても彼を夢で見ることはできませんでした。
その日のホテルの夕食会場でも彼の隣の席はセオリさんでした。彼は夢の中の道澄さんと同じようにセオリさんに付き合って沢山のお酒を飲んでいました。
「今夜はみんなで一緒の明晰夢が見れたらいいな。ねえ、もし夢の中で私を見掛けたら、私が私として認識できるように、セオリって声を掛けてよ」
「難しい注文をしますね。まぁ、試すだけ試してみますが」
「絶対だよ!今度は私も仲間に混ぜて欲しい」
セオリさんは彼に念押しをしていました。
そうして夜は更け、夕食会場を後にしました。女性三人は同じ部屋ですが、セオリさんは飲み過ぎたらしく、部屋に入るとベットに倒れるように寝てしまいました。私はセキナ姉さんと少し話してからベットに入りましたが、なかなか寝付けませんでした。
翌朝、私は朝食時間に合わせたアラームより大分早く目が覚めてしまいました。ただ、どんな夢を見たのか、それとも夢を見ていないのか全く覚えていません。私は寝ているセキナ姉さんとセオリさんを部屋に残し、ホテルの前にある湖畔の公園を散歩することにしました。
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私が公園を歩いていると後ろから声を掛けられました。
「コノハさん、おはようございます」
「昨夜はかなりお酒を飲んでいたのに、今朝は随分と早いですね」
「お酒? そうだったのですか。コノハさん、実は今の私は道澄です」
「えっ?」
「あの時とは反対に今度は私が夢を見て、彼の身体を借りてあなたを訪ねて来ました。彼が泥酔すると入れ替わるのですかね。こうして違う姿であなたと対面するのは不思議ですが、とてもお元気そうで良かったです」
「道澄さん……、本当なんですか? もう会えないと思っていました」
私の頬は涙で濡れていました。
私は嬉しくて嬉しくて彼の胸に飛びつこうとしました。
「おーい、コノハ、二人で何をやっているの?」
後ろからセオリさんの声がしました。
「輝虎殿? 輝虎殿もこちらに来ていたのですか?」
道澄さんが驚いた声を上げました。
私は機を逸して振り返りながらセオリさんを睨みました。
それから私たちはホテルに戻って朝食を取り、チェックアウト後に諏訪大社巡りをしましたが、もうセオリさんに道澄さんの隣は譲りません。
これが夢なのか現実なのか分かりませんが、目一杯楽しもうと思います。
おわり