第3章:上野での冬のはじまり

3.6 八王子から伊香保の道のり


 私は酔い潰れているセオリさんを彼女の部屋に送り届け、コノハさんと別れた夜のことを強く思い返しながら再び眠りにつきました。

 

 薄れた意識がゆっくり戻ると、そこはコノハさんがいるアキさんの家の中でした。私は調べた蛇神のことや鏡の泉からの戻り方などををコノハさんに話して、これからのことを相談しました。

 

 順序としては、まず蛇神に対抗できる武器を手に入れ、次に蛇神が棲む場所に移動して退治し、アキさんの呪いを解きます。それからアキさんとコノハさんで鏡の泉に行って、コノハさんが元の世界に戻れるようにする、という流れです。

 私は蛇神退治が終わるまでコノハさんにこのまま待っていて貰おうと思っていました。が、コノハさんの同行したいという気持ちが強く、代わりに不測の事態に備えて念話のできる道澄の弟子を家に残すことにしました。そして、私とコノハさん、剣術修行として二郎を入れた三人で旅に出ることになりました。

 

 私たち三人が八王子から高崎方面に続く街道を進んでいる時、八幡宮に向かっているコノハさんを攫おうとした望月千代女と唐沢玄蕃が姿を見せました。

 

「貴様たち、道澄様に見逃して貰った恩を忘れ、再びコノハ様を攫いに来たか!」

 二郎が怒って刀に手を掛けながら一歩前に出ました。

 

 二郎の牽制に望月千代女と唐沢玄蕃は動じませんでした。

 

「この前は申し訳ありません。その子に価値があることは知っていますが、今度は攫いに来たのではないです。道澄様に協力するためですよ」

 

「私に協力ですか?」

 私は千代女に訊ねました。

 

「まぁ、お茶でも飲みながら話しましょう。蛇退治に行くのでしょう?」

 彼女は微笑みながら答えました。

 

 私たちは街道沿いの茶屋に寄って、千代女の話を聞きました。彼女は自分を操っていたモノの正体が蛇神だと見抜いていました。そして操られていたままでは面白くないので、道澄への借りを返すために蛇神退治に協力すると言って来ました。彼女は武田の忍びである歩き巫女の頭なので、言葉をそのまま信じることはできません。

 

「蛇神退治に協力してくれるのはありがたい。ただ、見逃したお礼以外に何か目的があるのでしょう?それに諏訪大社が祭神の二柱以外に祀っているそそう神が相手でも、あなたは退治に協力して頂けるのですか?」

 

「退治の相手が建御名方神《たけみなかたのかみ》や八坂刀売神《やさかとめのかみ》であれば諏訪大明神に仕える巫女として協力できません。ですが、相手は諏訪の地に古くからいて習合された蛇でしょう。そんな蛇が餓鬼悪霊を操って罪もない集落を襲ったのであれば、諏訪大明神を汚すことになるので捨て置けません」

 千代女はそう答えました。

 

「たとえ諏訪の神として習合された蛇神でも正すということですね?」

 

「ええ。そんな蛇神の噂が広まったら困りますしね。正すのも巫女の役目ですよ。それに、蛇退治のために道澄様は縁がある上杉を頼られるのでしょう?」

 

「流石は諏訪信仰を各地に広める歩き巫女の頭ですね。大した洞察です」

 

「まぁ洞察と言うよりも、目が覚めない子がいる家の、口が軽い男のお陰ですけどね」

 そう言って千代女は笑いました。

 

「ご主人、女性に弱いから…」

 その千代女の話を聞いて二郎が頭を抱えていました。

 

「上杉はあなたのご主人の仇では?」

 

「確かに上杉は川中島で死んだ夫の仇ですが、もう仇討ちなんて考えていません。敵味方なんて明日になれば分かりはしないから。道澄様を通じて上杉輝虎様と少し誼を通じたいと思いまして」

 

「なるほど、私に協力する理由は上杉輝虎殿との仲の取り持ちですか。巫女村のある祢津は、浅間山に近いですよね?」

 

「はい。浅間山の辺りは数年前まで武田と上杉で争っていましたが、今は真田が治めています。だから私には庭みたいな山ですよ。もしかして浅間山で蛇退治なんですか?」

 

「そうです。諏訪大社が祭神以外に祀っている古来のそそう神が蛇神の正体だと考えていますが、あなたに憑りついていた際に自分の世界に帰ると言っていました。だから祀られている諏訪大社ではなく、自分の世界とは龍脈が通っている地の底だと思っています」

 

「諏訪縁起の維縵国ですね」

 千代女は私にそう返しました。

 

「そうです。諏訪縁起に出て来る地底の維縵国が龍蛇の住処で、その入り口が浅間山だと思います。浅間山の周辺で龍穴と思える洞窟までの道案内をして頂けるのなら、この申し出を受けましょう」

 私がそう応えると心配そうにコノハさんが近寄って来ました。

 

「道澄さん。簡単に信用して手を組んでいいんですか?」

 コノハさんは私に耳打ちしました。

 

「うん。きっと大丈夫だよ。手が組めるのであれば損はないと思う」

 私は静かに返事をしました。

 

「信用してくれるんですね。いいですよ。道澄様たちを浅間山の洞窟までご案内しましょう」

 千代女は不敵な笑みを見せました。

 

 こうして話はまとまり、私は上杉輝虎宛の書状をしたため、唐沢玄蕃に渡して先に向かって貰いました。相模から上野の沼田までは約142km、歩き続けて30時間の距離があります。私たちは望月千代女を加えた四人で上杉輝虎が滞在していると思われる沼田城に向かって旅をすることになりました。

 

 私たちは一日に30kmぐらいを歩いては寺社に泊めて貰って移動を続けました。四人での旅でしたが、望月千代女の周囲には巫女姿の女性が時々姿を見せていたので、何かしら武田方と連絡を取っているようでした。

 あと一日で沼田という所まで来て、私たちは望月千代女の提案で旅の疲れを取るために少し寄り道をして伊香保温泉に宿泊することにしました。

 

 温泉に入った後で夕食を頂いていると、宿の方が望月千代女に手紙を渡しました。

 

「道澄様、先に行った玄蕃から手紙が来て、沼田城で上杉輝虎様があなたと会えるのを心待ちにしているそうですよ」

 

「そうですか…」

 私はセオリさんに似た上杉輝虎に抱き着かれた夢のことを思い出しました。

 

「長尾景虎だった頃からの仲で、道澄さんの理想の存在なんですよね?」

 コノハさんが訊ねました。

 

「越後の龍と呼ばれる方ですから、さぞ勇猛な方なんでしょうね」

 二郎が厳つい大男をイメージしているのがよく分かりました。

 

 私は京都にいる頃からの道澄の記憶を辿ってしまい、輝虎殿が長尾景虎として上洛した頃からの関係が何となく分かります。深く探るようなことはしていませんが、とても複雑な関係のようです。ただ、コノハさんや二郎にはちょっと言えないと思ってしまいました。

 

「何か訳アリですね。お酒を飲みながら少し聞かせて貰いましょうか」

 千代女が意地悪く言いました。

 

  

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