子どもたちの寝顔を見ながら、帰りの電車の中で思い出していたことの続きを始めた。自分の人生を振り返る良い機会だと思った。
私が今までで一番悲しかったことは何だろう。それは身近な人の死だ。その中でも従姉のお姉さんが亡くなった時ほど悲しかったことはない。
私が小学五年生の時にお姉さんは大学三年生で亡くなってしまった。それはおじいさんの一周忌の直ぐ後の出来事だった。
私の父は十人兄弟の末っ子で、実家はじいの兄の四男が跡を継いでいた。兄弟の仲は良く、年に何度かは実家に集まっていた。このため私も従姉たちとよく遊んだが可愛がってくれたのがそのお姉さんだった。
お姉さんは二人姉妹の姉で明るくて活発だった。父が実家に居た頃は兄のように慕っていたらしく、父が結婚してからは時々遊びに来ていた。私や妹ともよく遊んでくれた。
私が小学四年生の冬におじいさんが病気で寝たきりとなり、父の兄弟たちが交代で実家に戻っては寝ずの看病をした。それが一ヶ月近く続き、おじいさんは亡くなった。そして私が参列した最初のお葬式になった。
そのおじいさんの一周忌、お姉さんが記念誌作りを提案し、みんなで原稿を出し合って記念誌を作った。私も原稿を用意していたが、タイミングが合わず、出来上がった記念誌の中に私の作文は入っていなかった。
お姉さんが私に謝ってくれたが、私は酷いことを言ってしまった。
言ってしまった後で反省し、次に会ったら謝ろうと思っていた。
授業中、担任とは別の先生が教室に来て、私が呼ばれた。外に出ると父が車で待っていて、車に乗ってお姉さんの家に向かった。
お姉さんは、大学のサークルの自主映画への出演を頼まれ、当時、遮断機のない踏切内で撮影をしていたという。そこに、予期しない電車が来て、車に衝突し、電車も脱線した。(当時はテレビニュースで流れましたが、ネットに情報はありません。現場は19年6月の脱線事故にとても近い所です)
おじいさんのお葬式とは雰囲気が全く違うお葬式だった。
私は二度とお姉さんに謝ることはできなくなった。